蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

松葉の流れる町(18)

 それから暫く経ってキャンペーンが終わりになろうとしていた頃、壬生は少し前から気になっていたことを口にした。
「あの三人は何者だろう」
 彼らがそこにいるのは少し前から気付いていた。しかし彼らはそこで誰かを待っているだけだろうと大して気にしてはいなかったが、注意して見ている内に、彼らの目的がこちらにあるのではと気になり始めていたのだった。壬生は通りに背を向けたままボソッと呟いてから、そっと上体をずらして丸宮の視界を空けた。
「確かにこちらを気にしている風だね」
人込みを離れた通りの角に三人の黒服が立っていた。

「何者でしょう」
「さあ、見るからにその筋の者たちだが…」
 成宮は素早くその三人を確認すると、直ぐ視線を移し小さく答えた。
「こちらを気にしているようなのですが」
「そう言われれば、確かにそのようですね。でも単につぐみちゃんのファンなのでは…」
「ううん、それならいいのですが…」
 壬生が集まった人たちを見渡す振りをしながらその三人に眼をやると、それに気付いて三人は別の通りに眼を向ける。そんなことが少し前から続いていた。
「そろそろ、時間になりますが」
 丸宮が言う。キャンペーン終了の時間が近づいていた。
「そうですね、終わりにしますか」と壬生がつぐみに近づいて一言、二言囁やくと、つぐみは小さく頷いてマイクを握った。そして、つぐみが最後の挨拶を終え、スタッフたちが片付けに入ろうとした時にその黒服の三人がつぐみの前に立った。

「一条さん、レコードを買わせて頂きます。何枚ありますか」
 男は浅く腰を引き、鋭い眼光をつぐみに向けたまま口を開いた。高い頬骨と窪んだ眼窩が凄惨な印象を持たせたが、言葉遣いは丁寧だった。
 その物言いに安心したのか、隣の店員は驚いた表情のままつぐみを守るような格好でその前に伸ばた手をいつの間にか引っ込めていた。
「はい…」つぐみは言葉に詰まった。何が何枚あるのかと訊いているのか分らなかった。何円ですかの間違いかと思いながらも聞き返せず、店員と顔を見合わせていた。
「全部頂きます。全部で何枚ありますか」と、再び男が口を開いた。腰は浅く引いたままだった。
「全部…」と繰り返し、つぐみは再び店員と顔を見合わせる。男の言葉は理解したが用意したレコードが全部で何枚あるのかは分らない。
「新曲200枚と30枚ずつですから、300枚位だと思いますけど…」と店員が答えると、
「300枚ですか、分かりました。全部頂きます。幾らになりますか。箱ごと頂きます」
 男は内ポケットから出した封筒をつぐみの前に差し出し、二人の男に合図した。それを受け、他の二人は店員の手を払いのけるようにしてレコードを箱を詰め始めた。
「お客さん、そんなに買われてどうされるんですか」
 つぐみの横に来てそう言う壬生に男は答えず、受け取ろうとしないつぐみの手を取ってその掌に封筒を載せた。
 つぐみはそのまま壬生に渡す。封筒には帯封のついた束が入っていた。
「お客さん、これでは多すぎます」
「いいえ、釣りは結構です」
 男は壬生の差し返す封筒を制してからつぐみに向い、「歌、頑張ってください。失礼します」と再び腰を浅く曲げて言うと、二人の男に目配せした。その男たちも「失礼します」と短く言い残し、それぞれレコードの入った箱を抱えて浅草寺の方向へ小走りに去った。僅かな時間の出来事だった。
「誰なんだ…」
 壬生は呆然と男たちの後姿を追いながら呟いた。
「さあ、私にもさっぱり…。でも今日は確か、あの手の連中の会合の日かもしれない。その内の誰かでしょう」隣に来て丸宮が答えた。
「つぐみ、何か心当たりはないのか」
「私…、いいえ」
「あの格好はどう見ても暴力団の連中だろうし、あんなに買ってどうするのだろう」
「私、何だか気味悪い」とつぐみは店主を見る。
 封筒にはきっちり100万が入っていた。
「丸宮さん、何かあったら連絡ください。お金は預かっておきます」
「分かりました。あの手の連中は気前がいいですから、そんなに気にしなくても大丈夫ですよ。つぐみちゃんへのご祝儀でしょう」と壬生を慰め、「でも、つぐみちゃんは少しびっくりしたかな」とつぐみには笑顔を見せた。
「はい…」
 つぐみは口籠ったが、少し思い当たる節があった。男の襟のバッジには菊花の中に四角に囲まれた龍の文字が見えたのだ。