蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

松葉の流れる町(15)

3章
 つぐみが出すあてのない手紙を書いていたこの頃に、ラジオ番組から声がかかる。雲井吾郎がパーソナリティを務める深夜の番組で、彼は「モリプロ・スカウトツアー」の司会をしていたこともあり、以前にも別の番組で呼んでくれたことがあった。
 「モリプロ・スカウトツアー」とは、モリ・プロダクションが新人歌手発掘のために全国展開したオーディション企画で、日本各地の都市を会場にして出場者を募り、優勝者には歌手デビューの機会を与えると銘うった、当時としては画期的な内容のイベントだった。つぐみが出場したのは73年8月の宇都宮大会で、高校1年の夏休みのことである。氏家雅子、後の一条つぐみはその大会の優勝者だった。

 そこで司会を務めた雲井はその時のことを今でも鮮明に覚えていて、その後デビューしたつぐみに会うたびに、その時の印象を思い出すことになる。それ程その女子高生のインパクトは強かった。殆どの出場者が当時流行のポッップス調の曲や青春歌謡等を選んだのに対し、彼女は少し古い「南国土佐を後にして」を歌った。その時その場に流れた違和感は歌い終わる頃には不思議な心地良さに変わり、それはそのあと暫く彼の心から消えることはなかった。朗々と、そして時折声を揺らしてさえ見せた女子高生の歌唱は、時代に合うのかを除けば際立って存在した。

 「夜のしじまを人知れず、今日も旅する人がいる。流れる星の二つ三つ、行方照らしてまたひとつ…。皆さん今晩は、夜の旅人雲井吾郎です。本日は素敵なゲストをお迎えしています。では、ご紹介の前にこの曲をお聴きください」
 こうして彼の番組は始まる。そして流れた曲は一条つぐみの『悲しみの町』だった。曲が終わるとまた彼のマイクがONになる。
「一条つぐみさんの新曲『悲しみの町』でした。そして今日のゲストは、その演歌の歌姫一条つぐみさんです。つぐみちゃん、お久し振りです」
「はい、ご無沙汰しております。皆さん、今晩は。一条つぐみです。宜しくお願いします」
「デビューの頃と比べると随分大人っぽくなって来ましたね。最近、仕事の方はどうですか」
「はい、そうですね、地方回りが多いですね。他にはレコード屋さんでのキャンペーンとかデパート屋上での歌謡ショーとかですね」
「そうですか。演歌の人は結構、地道な活動も多いですよね。そうした経験が後々の糧になりますしね」
「そうですね。頑張ってます」
「ところで新曲『悲しみの町』を聴かせて頂きましたが、これは何曲目になるんですか」
「5曲目です」
「そうですか。もうそんなになりますか。デビューの『さよならの町』の雰囲気が『南国土佐を後にして』に少し似ていて、だからその曲を聴くとスカウトツアーの時を思い出してしまうのですが、あの時、女子高生が何故こんなふうに歌うことができるのか不思議でした。しかしその不思議さは実は恐怖に近いもので、本物の才能が人を恐怖に落とすことを初めて知ったのだと思います。天賦の才能が厳かに存在する事実を目の前にすると、人は恐れ慄くもののようです。だから、この女子高生は天才だと震えてました。ただ、それを人に伝えるのは難しいことでなかなか言えませんでしたけど、森さんにだけは伝えました。だから直ぐ宇都宮に来なければ駄目だってね」
「吾郎さん、それは持ち上げ過ぎです。そんなに持ち上げられたら降りられなくなります」
「高い所は嫌いですか」
「嫌いと言うより、それ程好きではない、と言った方が正しいかもしれませんけど…」
「…それが今は哀感が見え隠れするようになって、大人を感じさせるようになった。大人になったのかな」
「自分ではよく分らないんですが、少しは成長したんでしょうか」
「だろうね、女らしくもなってきたし」
「元々、女なんですけど」
「ああそうでしたね、失礼しました。モリプロの森正太郎社長には懇意にして頂いていて、スカウトツアーの頃は、僕に仕事がないのを知って司会に使ってくれたのだけれど、あの頃から社長はつぐみちゃんの実力を認めていたよ」
「ええっ、そうなんですか。初めて聞きました。社長と直接お話することはあまりないんです」
「あの人が若い歌手を誉めることは滅多にないんだけど、つぐみちゃんだけは誉めてたよ。あの子は凄い歌手になるって、演歌界を背負う歌手になるだろうって、ずっと言ってた。それを聞くと、僕も世話になった森さんの少しは役に立ったのかなと嬉しくなるけどね」」
「本当ですか。また、吾郎さんの得意の嘘でしょう」
「僕はつぐみちゃんには嘘言わないよ、他の人には言うけど」
「いつもそうやって騙されちゃうのよね、私って」
「では、次の曲に行きましょう。久し振りにデビュー曲を聴きたくなりました。この曲は『南国土佐を後にして』に少し似ていますが、演歌の歌姫がストレートに歌っています。一条つぐみの衝撃のデビュー作『さよならの町』です。どうぞお聴きください」

 曲が流れると二人のマイクはOFFになる。
「吾郎さんは幾つなんですか」目を瞑ってその曲を聴いていた吾郎につぐみは声をかける。
「歳、僕の・・・、36になりました」と、少しおどけて答える。
「へえーっ、36歳かあ。私のちょうど倍ですね」つぐみは嬉しそうに言う。
「つぐみちゃん、それより次、これ行くよ」と言って、彼は簡単に書かれたフロー表をつぐみの前に滑らせ、好きな人、恋愛の文字を鉛筆で囲って見せた。『さよならの町』が終わると二人のマイクはONなる。

「つぐみちゃんは好きな人はどうなんですか。18歳だし、勿論、いますよね」
「ううーん、ひみつ…かな」
「と言うことは、いるということかな」
「…秘密です」
「つぐみちゃんは山男が好きらしいって、マネージャーの壬生さんから聞いたことがあるけど。その時壬生さんは、熊のような男だったら俺どうしようって言ってた。熊のように逞しい男はどうですか」
「熊…、熊…」と二度呟いて、つぐみは笑い出した。何を思い出したか笑いを抑え切れず、掌で口を押さえ続けた。

「何か思い当たることがあるようです。次の曲に行きましょう。『悲しみの町』の前の曲になりますが、『雁来紅』。玄人受けすると言われるこの曲は僕も好きで、この番組でも何度か紹介してきましたが、今日も聴きましょう。ところで、つぐみちゃんは秋の七草を知ってますか」
「えっ、秋の七草。あれでしょ、セリ、ナズナゴギョウハコベラ…」
「それは春の七草ですね」
「あっ、そうか。そうですね。萩に桔梗に女郎花、こちらですね。ええと…あとはなんでしたっけ」
「それに、尾花、撫子、藤袴、葛ですね。覚え方は、お好きな服は、と言うらしいよ。女郎花、尾花、桔梗、撫子、藤袴、葛、萩、ですね。昭和の初め頃、或る新聞社が新秋の七草を選んだことがあって、その時に長谷川時雨という人がその一つにこの雁来紅を選んでいて、雁来紅って葉鶏頭のことだけど、つぐみちゃんのこの歌を聴くと、その新秋の七草を思い出して、ああ秋だなあっていつも思うんだよね。何かしみじみとするんだよね。人の心の深いところに響くって言うのかなあ、何度聴いても飽きない奥ゆかしさのようなものを感じるんだよね」
「そうですね、私も庭先に咲く葉鶏頭を思い出します。私の小さい頃は何処の家の庭先にも咲いていたよう気がして、懐かしい気持ちになります」
「そうですね、秋らしい鮮やかな色彩ですね。では、そんな風景を思い浮かべながらお聴きください。一条つぐみの『雁来紅』です」

 この曲の流れる間、先刻のOFFの時間とは違って、二人はしんみりと聴いていた。曲が終わると視聴者からの葉書を読む。そしてリクエスト曲を紹介する。つぐみも何枚かを読んだが、その一枚は宇都宮の人からだった。そうしていうる内に終了時間が迫ってくる

「では最後につぐみちゃんからリクエストを頂きましょう。つぐみちゃんのこの一曲をどうぞ」
「はい。それでは私からのリクエスト、『南国土佐を後にして』をお願いします」
「スカウトツアーで歌ったあの曲ですね。それではその『南国土佐を後にして』を聴きながらのお別れです。つぐみちゃん、今日は本当に有難うございました。また来てください。『悲しみの町』をヒットさせましょう」
「はい。どうも有難うございました。皆さん、お休みなさい」
「ではまた来週、星の流れる夜にお会いしましょう」
 こうして彼の番組は最後の曲を流したままエンディングを迎える。