蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

手紙7 望郷のアムステルダム

「茂木純一の手紙」  
 取り急ぎ用件のみを記します。外務省、またはお前にこの話に興味があるかどうか知りませんが、日本人の過激派の件です。アムステルダムには日本人過激派らしい人物が数名いると、当地の取引先の人から聞きました。名前はそれぞれ、鈴木、田中、高橋と名乗っているそうです。多分偽名でしょうが、日本の公安当局が探している人物かもしれませんので知らせます。勿論、興味がなければこのまま放置して下さい。


 昨年、クアラルンプールで仲間の奪還に成功してリビアへ逃げたグループがありますが、その内の何人かではないかと言う人もいます。世界を旅して放浪する日本人も結構多いので、そうした人達なのかもしれませんが、いずれにしてもそう考えると皆きな臭く見え程、いろんな人がいる街です。取引先の人ですから信用できる人物ですが、話は誰かからの又聞きだろうし、その言葉を100パーセント信用する必要はないと思います。判断は任せます。

 それともう一つは中禅君のことです。彼を偶然、アムステルダムの飾り窓の通りで見かけました。ダム広場の裏側の中央駅に向けて流れる運河沿いの飾り窓地区で、日本人らしいアジア人と白人の3人である店に入りました。雨だったので我々は傘をさしていましたが、彼らは近くで車を降りたらしく、傘を持たず、小走りに我々の直ぐ前を横切って、向かいのその店に入って行きました。僕は彼をはっきり見たのだが、彼は傘を差してた僕には気付かなかったと思います。
 現地の人が言うにはアムステルダムは、アジア系やアラブ系、アフリカ系等を含めて色々な国の人がおり、中には犯罪者も多いそうです。勿論観光客も多く、日本人らしい観光客も結構眼にします。だけど先輩が言うには、過激派崩れや右翼系の人間も結構多くいるそうです。中禅君はあの右翼の大物の父親に反発して左に走ったと聞いていましたが、実際はどうなんだろうか。お前の友達だし、念のために知らせておきます。

 アムステルダムは1960年代にはヒッピーの安息地といわれ、特にフォンデンパルクに多かったそうです。アメリカでの例の女優殺人事件以来、そこに居にくなった彼らの多くが安住の地を求めてここに来たといわれています。それは、アムステルダムが古来から何事にも寛容な土地柄として知られていることにあると思われます。そのせいか、今でもサブカルチャーには寛容だし、また麻薬の類も容易に手に入るということで、それを目的とした人も多いのだと言います。日本人の目には非常に不思議に見える街です。


 この宛先は、先日、東京本社に呼ばれて戻った時に久し振りに舘林と飲み、彼から聞いたものです。モスクワは結局1年で、今はカイロですか。役所務めの辛いところといったところでしょうか。舘林はお前の仕事に興味津々でした。まあ、彼も新聞社勤務だから色んな話をしていたが、それは別として、オランダ来ることがあったら連絡下さい。案内します。それから、お礼が遅くなったけど、つぐみちゃんのレコードありがとう。彼女の歌を聴くと望郷に駆られます。遠くから及ばずながらヒットを祈ります。
1976年
茂木純一
大田原達彦様