蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

4、付録:淡谷のり子

1、「ドンニャ・マリキータ」(1935年・昭和10年
(詞:瀬沼喜久雄、歌:淡谷のり子28歳)
 日本のシャンソン歌手第1号といわれた淡谷のり子のヒット曲。日本人はずっとこの歌を日本の曲と思っていたそうだが、実際はスペインで作られた曲。

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2、「暗い日曜日」(1936年・昭和11年
(詞:清野協、歌:淡谷のり子29歳)
 1933年にハンガリーで作られ3年後の1936年にダミアの歌でシャンソンとして有名になるが、その暗い曲調からいわくの多い曲でもある。当時の日本でも多くの歌手がカバーしたが淡谷の歌唱が秀逸だろう。

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3、雨のブルース(1938年・昭和13年
歌手:淡谷のり子、作詞:野川香文、作曲:服部良一
 後の淡谷のり子75歳の時「あたしはね、やれるところまでやりますよ。歌と一緒に死んでかなきゃいけない、と昔から思ってるんだ」(1982年8月、新聞インタビューに答えて)この時でも、恩師久保田稲子の言葉を忘れることはなかった。
http://youtu.be/BbvyKk38SJk
(12.2)