蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

神7、サンフランシスコ美術館


≪神々の時代(5)の補足≫

 サンフランシスコ美術館とサンフランシスコ近代美術館を間違えていた。既に訂正済みです。
 サンフランシスコ美術館(The Fine Arts Museums of San Francisco)は、ゴールデン・ゲート・パークにあるデ・ヤング記念美術館と、リンカーンパークにあるパレス・オブ・ザ・リージョン・オブ・オナーの2つ美術館の総称であり、サンフランシスコ近代美術館 (San Francisco Museum of Modern Art、通称SFMoMA) は、サンフランシスコ市東側にある近現代美術専門の美術館である。
 SFMoMAアメリカ西海岸初の20世紀芸術作品のみを展示するサンフランシスコ美術館(San Francisco Museum of Art)として、1935年にオープンした。この美術館は1995年の大規模な改修や拡張の後、ニューヨーク近代美術館MoMA)と区別するために略称SFMoMAを使用するようになる。


 一方、ナティエの「テレプシコラー」を所蔵するサンフランシスコ美術館がThe Fine Arts Museums of San Franciscoを名乗ったのがいつなのか定かでないが、パレス・オブ・ザ・リージョン・オブ・オナーとデ・ヤング記念美術館が合併したのは1972年であり、その時なのかもしれない。
 歴史をたどると、デ・ヤング美術館は1894年に開かれた万国博の際に建てられたファイン・アート・ビルディングを利用して1895年に開館する。当初の建物は1906年の大地震(注1)で被害を受け、その後修復、増築などを重ね、1921年、中央部に塔を設置した際に、名称をM・H・デ・ヤング・メモリアル・ミュージアム(M. H. de Young Memorial Museum)とする。
 1960年代半ばには、アベリー・ブランデージのアジア美術コレクションの寄贈をうけて、ブランデージ棟が建設される。さらに1994年、以前にSan Francisco Main Libraryであった建物をアジア美術館(Asian Art Museum)とするが、そのアジア美術館は2001年に閉館され、2003年、新たな美術館としてシビック・センターにオープンしている。
 また、1989年のロマ・プリータ地震による被害を受けたデ・ヤング美術館は、2000年から約5年の年月をかけて建て直し、2005年に再オープンしている。

 この美術館の特徴は、アメリカ美術、ネイティヴ・アメリカンの美術品だけでなく、ファッション、テキスタイル、写真、アフリカやオセアニアの美術品などと幅広く、1,000点以上の絵画、800の彫刻、3,000以上の装飾美術品などであり、1670年から現在までを網羅している点にある。

 もう一つのパレス・オブ・ザ・リージョン・オブ・オナーはパリのレジオン・ドヌール宮を模して1924年完成。砂糖王アドルフ・スプレケルズ夫人アルマが彼女の収集品を納める美術館として建造した。
 900点を超える絵画、500点以上もの彫刻、12,000点に及ぶ装飾工芸品などを所蔵するが、特徴はヨーロッパ絵画のコレクションにあり、とりわけ16〜17世紀のオランダ絵画は傑出していると言われる。


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 右ページの5点がサンフランシスコ近代美術館のコレクションで、左ページの6点がサンフランシスコ美術館のもの。下の方にナティエの「テレプシコラー」がある。


 ウィキペディアの「アメリカ合衆国の美術館」には68の美術館名が載っており、その中に「サンフランシスコ近代美術館」や「デ・ヤング美術館」はあるが、「サンフランシスコ美術館」と「パレス・オブ・ザ・リージョン・オブ・オナー」の名はない。
 サンフランシスコ美術館の公式ウェブサイト(注2)には、de Young と Legion of H onor として載っているのでご覧ください。これは推測だが、デ・ヤング美術館は開設当初「The Fine Arts Museums of San Francisco」を名乗っていたのでは。
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注1)1906年の大地震ジャック・ロンドンとサンフランシスコ地震
注2)サンフランシスコ美術館のウェブサイト