蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

松葉の流れる町(19)

 その帰りのタクシーの中で、つぐみは会場で受け取ったファンレターに眼を通した。つぐみが貰うファンレターはそう多くはない。浅草は故郷の宇都宮と同じで、彼女がキャンペーンを開くと必ず熱心なファンが来てくれる場所だった。人情に厚い下町につぐみの演歌はあっていたのかもしれない。

 そうして手紙の文字を追いながらも頭の中にはバッジの龍の文字があった。達彦の親友、中禅龍一郎は右翼の父親に逆らって学生運動に加わっていると聞いたことがある。龍の文字はその龍一郎に関係あるのだろうか。達彦に連絡をとりたかったが、その達彦は「モスクワを離れることになるから暫くは連絡しないで欲しい」と言ってきたきりで、その後音信はない。一通の手紙を終え、次の手紙を封筒から取り出す時にも龍の文字がふっと浮かんでくる。そして感情を顔に表さない龍一郎の端正な顔が浮かんでくる。

 そうやって虚ろに読んでいた何通目かにその文字を見た瞬間、つぐみは息を呑んだ。加堂次郎の名が記されていた。

 突然、手紙を差し上げる無礼をお許しください。加堂次郎です。あなたがお姉さんであることは勝君から聞いて知っていました。彼を犯罪者にしてしまったことを私は詫びなければなりません。

 そう書き始められていた文面には、その後に勝に累が及ぶとは考えていなかったこと、ましてや勝が名乗り出るとは考えもしなかったこと等が書かれていた。というのも、勝はその場所にいただけで放火はしておらず、それは加堂がひとりでやったということだった。しかし加堂は少年の心理にまでは考えが及ばなかったことを後悔し、だから詫びなければと思ったのだという。己の行為を担任の教師に告白した純真な少年はそれは罪であると自らを責め、悩んだ末の行動だったのだろう。そう考えるだろうとの予測もできずにその場に連れて行ったのは私の罪なのです、とも書いてあった。だが母親の住所を知らず、だから姉であるつぐみの居場所を探していたのだという。そして最後にはこう書かれていた。

 征服者日帝に私は捕まるわけにはいきませんから、名乗り出て事実を語ることはできません。しかしこのことだけはどうしてもあなたに伝えておきたかったのです。謝って許して貰えることではありませんが、お許しください。そして彼を恨むのではなく私を恨んでください。

「どうかしたのか。神妙な顔をして」

 壬生はつぐみの横顔を見つめていた。
「いいえ。何でもありません」
「そうか、それなら良いが。しかしヤクザとはな、誰なんだろう」
「そうですね。誰なんでしょう」

 つぐみは中禅龍一郎の名を挙げることはできなかった。不確か過ぎるし、達彦に話した後でなければ言う訳にはいかないと思っていた。しかしその達彦と連絡が取れる筈もなかった。そして加堂の手紙は、取りあえず母にだけ知らせようと思った。

 この手紙をくれたのはあの長髪の男だ。その他にそれらしい人物は思い当たらない。加堂本人があの場にいたとしたら、それはあの長髪の男に違いない。しかしその顔をつぐみは見てはいない。つぐみが気付いて受け取ろうとした時、男は既にテーブルに封筒を置き、頭を下げたそのままの格好でその場を離れて行った。