蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

俳句4 語重ね

 

 盛装の宮女たちが裾をひるがえしてブランコで戯れる様子が、漢詩に春の風景として詠まれているところから、ブランコは春の季語となった。(山本健吉)古来、中国ではブランコを鞦韆(しゅうせん)といって、寒食の節に宮賓たちの戯れとした。また他にも、秋千、ふらここ、ふらんど、ゆさはり、半仙戯ともいう。


 鞦韆は漕ぐべし愛は奪うべし(三橋鷹女)


 50歳を過ぎてからの鷹女の作品であるが、激しいというか、挑発的というか、赤裸々な女の情念が感じられる句である。激しくブランコを漕ぐ女の自信に満ちた姿が思い浮かぶ。元気にブランコを漕ぐ無邪気な笑顔の少女にさえ、この壮絶な愛の始まりを予感させる。同じ言葉を二度続けることを何と言うか不明で、「季重ね」に倣って仮に「語重ね」と言うが、今回はその句の持つリズム感の良さに面白みを感じ、以下に幾つかを挙げる。


 かたくりの葉にかたくりの花の影(西川章夫)
 蘂に置く蘂よりほそき蝶の足(粟津松彩子)
 牛飼ひの牛にもの言ふ桃の花(宮岡計次)
 遊びよしここ住よしのよし雀(長谷部柳居)
 八重霞遠山ならぬ山もなし(寺町百庵)
 鉄の刃の鉄を截りとる夏まひる加藤楸邨
 一葉散る咄(とつ)一葉散る風の上(服部嵐雪
 猿曳にはなれて猿の世寒かな(山口黒路)
 凍つきは凍つきながら笹の風(秋の坊)
 萍(うきくさ)の平は水の平なる(山口誓子


 過日、女優の吉行和子がテレビ番組の中で鷹女のこの句を「ふらここは…」と詠んで、好きな句の一つとして紹介していたが、「ふらここ」のもつ柔やらかさに何とも言えぬ趣が感じられた。それに引きかえ、大家、著名人に拙句を並べるとは汗顔の至りで、赤面を隠すべくもないのだが、恥を忍び敢えて記す。「俳句は戯れるべし恥は晒すべし」の心境である。


 菜の花という名の花と夜もすがら